震災から2年 風評被害を受けた福島の農家の今
2年前の東日本大震災に伴って起きた福島第一原発の事故は、それまであまり知られていなかった「福島県」の名前を、望ましくない形で世界中に広めてしまった。それにより、同県に世界各地から応援のメッセージが届けられた一方、同県の農産品は「風評被害」が深刻になった。津波により街自体が破壊された別の被災地と比べると、福島県の人々が心に負った傷は深く、「偏見」に悩まされている。中国新聞網が報じた。
震災後2年間、観光振興を目指す福島県は名産の桃ジュースを観光客などを対象にアピールしてきたが、あまり望ましい効果は得られなかったという。福島産果物がどれほど甘いかをどんなに説明しても、観光客はやはり及び腰だった。
原発事故発生後すぐは、福島産の農産物は「危険」というニュースが後を絶たなかったため、「福島産=危険」というレッテルを貼られてしまい、最高で12カ国が福島産の農産品の輸入を拒否した。そのため、福島産の農産物は売れなくなり、農業が大打撃を受けた。中には、絶望し自殺した農家の男性までいた。
事故後2年間、福島県も「偏見」を取り除こうと、6段階に及ぶ世界で最も厳しい検査制度を実施するなど、あの手この手を尽くしてきた。検査は県のサンプリング検査以外に、農家自身もサンプリング検査を実施しなければならない。また、米には「全袋検査」を実施し、検査結果を毎日、日本語と英語でネット上に公表している。
福島県郡山市のコメ農家の8代目藤田浩志さん(32)は、情報をしっかり発信していけば、同県の農業も生き残るチャンスが十分にあると考えている。そして、いち早く生産を再開しただけでなく、復興に向けた決意や「福島の食品は安全」であることを国内外に伝える「うつくしま復興大使」にも選ばれ、国内外を駆け巡っている。
「復興」という重責を背に、藤田さんは、一度は故郷を離れたものの、また福島に戻って来た農民と共に奮闘している。しかしその道のりはまだ長い。藤田さん自身は生産者という顔だけでなく野菜ソムリエとしても活動を行なっているため、マスコミにも取り上げられ、認められた存在となっているものの、破産の瀬戸際で戦う日々を過ごす農家も多いからだ。(編集KN)
「人民網日本語版」2013年3月11日