コンロの上に置かれたポットからは湯気が立ち上り、部屋中にミルクティーの香りが漂い始める。すると、吾熱孜汗·阿不都熱阿合曼さんは、立ち上がって台所に行き、ポットを手に戻ってきた。そして、白いコップにミルクティーを入れてくれた。隣の部屋では彼女の息子が、宿題をしていた。2016年7月まで、彼女の家族8人は、新疆維吾爾(ウイグル)自治区阿勒泰(アルタイ)地区青河県の60平方メートルほどしかない土壁の家に肩を寄せ合うように住み、家畜を放牧する暮らしをしていた。「雨や雪が降ると雨漏りがして、強風が吹くと隙間風がすごかった」という。
貧困者を立地条件の良い場所へ移転させる支援措置計画が実施され、吾熱孜汗さんらには希望の光が見えるようになった。約850世帯の農牧民約3300人が、集中移転先に転居。吾熱孜汗さん一家も和平コミュニティに転居した。
「転居」は第一歩で、その後、そこで安定した生活を送り、富を築けるようにしなければならない。貧困者が立地条件の良い場所へ移転し、生活条件を改善できるようサポートすると当時に、移転先の地域が積極的に企業を呼び込み、村民が家の近くで仕事を見つけることができる環境づくりをしている。吾熱孜汗さんは、村にある幼稚園で保育員をしており、夫も近くで仕事をしている。それに、土地使用権の譲渡費用を加えると、年間世帯収入は約6万6000元(1元は約15.95円)になる。
発展は国民のためで、発展には国民の力が必要であり、そして発展の成果は国民にシェアされるべきだ。2014年から2019年までの5年間、新疆ウイグル自治区では、都市部保障性居住プロジェクトが実施され、貧困者登録されている67万5600世帯の「安全な住宅」をめぐる問題を解決し、農村の貧困者が倒壊などの恐れがある危険な住宅に住んでいたという歴史が幕を閉じた。
同自治区の博爾塔拉蒙古(ボルタラ・モンゴル)自治州精河県托里鎮烏蘭旦達蓋村に行くと整然と並ぶ住宅と真っ直ぐな道が目に飛び込んでくる。砂漠が近くにあるものの、約56.7ヘクタールの防風林が風や飛砂の被害から守り、村には活気が満ちている。村の中にある広場には様々なトレーニング器具が並び、村民がそこでのんびりと過ごしたり、子供たちが楽しそうに遊んだりしていた。以前は家屋が倒壊し、ぬかるみだらけの場所だったとは想像もできない。
2017年8月9日、精河県で地震が発生し、震源地に近かった烏蘭旦達蓋村は大きな被害を受けた。巴特道爾基・村第一書記は、「地震発生後、幹部らが一致団結し、80日もしないうちに、210軒、合わせて1万6800平方メートルの家屋再建が完了した」と話す。
村民の吉·乃徳曼さんの自宅も再建された。新居の前の庭には野菜やブドウが植えられ、裏庭には果物の木が植えられていた。リビング2つ、寝室が3部屋ある新居のトイレは水洗式で、お風呂には給湯器も付いており、必要なものが全て揃っていた。「新居に住むことができたが、これからも頑張って働かなければならない」と話す吉·乃徳曼さんは、約3.3ヘクタールの畑で綿花を栽培し、5万元以上の純収入がある。そのほかにも羊を30匹飼育して、1万5000元の収入を得ている。
子供を幼稚園に送って帰ってきた図木舒克市の伊力亜斯·阿布来提さんは近所の人2人と共に、靴下編機が置かれているリビングに向かった。靴下編機は、同市工業パークの靴下メーカーが無償で提供したもので、メーカーは半製品を家まで運んでくれ、伊力亜斯さんらは自宅にいながら、お金を稼ぐことができている。
楽しく仕事ができてこそ、落ち着いて暮らすことができる。伊力亜斯さんの家は集中移転先エリアにあり、同エリアには住宅49軒が道沿いに整然と並んでいる。各家には庭と家庭菜園がある。現地政府のサポートを利用して、彼女はリビングを「作業場」に改築した。「住み心地はいいし、仕事もある。機械一台で3人の雇用が創出できる」と伊力亜斯さん。
和田地区皮山農場のイチジク栽培拠点では、イチジクの実がたくさんなり、収穫を待っていた。そして、ビニールハウスの中では、貧困世帯の海日古麗·麦麦提さんと同僚が、忙しそうに働いていた。彼女らはパック詰めを担当しており、月収は約2500元だ。そして、「スキルを磨き続けないと、仕事を確保し、より良い暮らしを送ることはできない。今後は、技術者に果樹の栽培方法を学び、技術者になりたい」と話した。
「人民網日本語版」2020年12月9日