日本科学技術振興機構(JST)上席フェローの沖村憲樹氏は、日本・アジア青少年サイエンス交流計画「さくらサイエンスプラン」の発起人であり、長年にわたり中日両国の科学技術分野における交流や協力を積極的に進めてきた。このほど沖村氏は人民網の取材に応じ、中国に興味を持ったきっかけ、中国を初めて訪れた際の印象、今年ちょうど40周年を迎えた中国の改革開放に対する見方などについて語った。人民網が伝えた。
中国について知る人がいないことに危機感
沖村氏は2000年2月、JSTの専務理事という立場であり、中国の科学院と行う大きな国際共同プロジェクトの協定締結のために初めて中国を訪れた。北京にある科学院本部で協定の了解覚書(MOU)を結び、その後は上海に向かい、同行した京都大学の平尾教授の研究パートナーである上海精密光学研究所を訪れた。当時中国は貧しく、この研究所の建物は古く、機材も古かったという。しかし、そこでは立派な研究が行われており、研究者たちの品格も非常に高いという印象を沖村氏は受けた。
そのときの中国訪問がきっかけとなり、沖村氏は中国との交流にさらに力を入れようと決心した。帰国後に周囲の人たちに中国の状況について質問したが、誰もそのことについて知らなかったという。そのことに危機感を覚え、沖村氏はJSTの理事長となり、北京に事務所を設立した。
全ての地域で科学技術に力を注ぐ中国
沖村氏は改革開放後40年間における中国の発展について、「改革開放には2段階ある。最初の段階で国中が一気に発展したわけではなく、■小平氏(■は登へんにおおざと)が南巡講話を発表した1992年から急激に発展するようになった」と話した。
また、この40年間における中国の科学技術の目覚ましい発展の理由として、沖村氏は科学技術関連の公的機関の多さを挙げた。中国には科学技術部(省)、工業信息部、科学院、科学技術協会など、科学技術関連の組織が日本よりも多い。それと同時に中国全国の31省市・自治区が科学技術の関連事業に携わっている。さらには、全ての省に科学技術庁という機関があり、その下の市には科学技術局、県には科学技術委員会、郷・鎮には科学技術教育委員会が設置されている。このように、末端の行政組織も科学技術の関連事業に携わっている。
もう一つの特徴として、中国は財政上、約20%を科学技術と教育分野にあてている。この割合は極めて大きく、日本ではわずか2%ほど、米国ですら6-7%となっている。これほどの財源を科学技術に投入してきたため、中国は南巡講話以降の26年間で、宇宙、原子力、海洋、スーパーコンピューターの分野で世界一を達成することができた。
相互協力しあうウィンウィンの関係を築く
また、沖村氏は今後の中日科学技術交流について、「中国の科学技術は非常に発展しており、今後もその技術力を高めていく。日本はこれから中国ときちんと交流しなければならず、そのためには人と人とが交流することが一番重要。『さくらサイエンスプラン』を通して、今後もますます中国と交流していく必要がある。また、相互に協力しあうことのできるウィンウィンの関係を築くため、日本の様々な分野の人たちが中国の人たちと交流し、互いの長所を生かし合って協力すべき」と語った。(文・木村雄太)
「人民網日本語版」2018年12月26日
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